ポカラ通信−vol.1

Dr.山口のポカラからご挨拶

  <ポカラのペンション「Tsushita」に開いた活動の新しい活動拠点>

 皆様お変わりありませんか。

10月23日に日本を発ち、今は念願のネパール、ポカラにいます。こちらは朝夕は涼しいものの、日中は半袖でも汗ばむほどの暖かさです。アンナプルナやマチャプチェレそれにダウラギリがあたかも手の届くところに迫っていて、そのヒマラヤの大きな亀裂から時々冷気を包んだつむじ風が降りてきて、ぶるっと肌を震わせます。この風の本流は高く天空を渡って日本へ季節を届けるのです。

 10年以上に及ぶ戦乱が終結し、ようやく平和が訪れようとしています。ゲリラ戦を指揮してきた指導者と政府(Seven Party Alliance SPA)の代表とが、立憲君主制か共和制かで意見が別かれていて、共和制の可能性が高くなってきました。アメリカの干渉がなければその様に事が進み、来年には選挙が7年ぶりに実施されるでしょう。地方議会も復活します。

 観光客が増えて、タメル(Kathmandu)やポカラにも西洋人の姿が目立ちます。日本人はまだ少ないのですが、今月には日本〜ネパール友好50周年の記念行事が幾つかありますから、ポカラにも大勢来られると思います。特に駒ヶ根市とポカラは姉妹都市であり、30名もの代表団が来る予定と聞いています。

 私は「ネパールに心臓基金」をと呼びかけたNGOヘラロアカデミーに賛同して、Art Exhibition & Heart Clinicの主賓となり、ネパールの心臓病についてLectureしました。その後、心臓病の患者の診察をしました。ファロー四徴症という先天性の重い病気や、リウマチ性の弁膜症を多く見つけました。

問題はそこからで、治療をしようにも保険制度はないし、皆貧乏ですから如何ともしがたく、様子を見ましょう、と言うだけが精一杯でした。特に重い患者を知人の勤務する病院へ紹介入院させましたが、治療費が払えないという理由で、2日後には追い出されてしまい、郷里の田舎で自然に返る日を待つだけとなりました。

 10月28日にはポカラとバグルンの中間に位置するダンプス村で一大医療キャンプをしました。マチャプチェレなる未踏峰の麓にある標高1200mの村で、日本のブッダ基金と現地のNGOヒマラヤBF、それに村の青年たちや多くのボランティアが参加して、630名の診療をしました。大半はGurung族ですが、歩いて2〜4時間もかかる遠くの村からも来ていました。
    
  <ダンプスのヘルスキャンプで患者を診る山口医師> <ダンプスに向かうブッダ基金と京都中ロータリーのご一行>

 京都中ロータリークラブの会員7名も参加されました。現地の医師5名(眼科医3名、内科2名)は熱心に診察し、ここで見つかった白内障など21名の眼疾患者のうち、17名が翌日にはポカラの眼科病院で手術を受けました。全員が無料でした。

 この辺が面白いところで、キャンプから紹介されればタダ、個人的に受診すれば有料という訳で、どうしてそうなるのか不思議です。

 マスコミ関係者やNC(国民共和党)の国会議員、更にマオイストの代表なども視察にきていました。現地からラジオで生放送され、翌日の新聞にも大きく報道されていました。

 その後、この村から具合がよくなった、ありがたい、何でもなくてよかった、など好意的な返事が沢山来ました。

 10月25日にキャンプの準備のため村に行った時のこと、嘔吐と下痢が続き脱水のため瀕死状態の家族3人が道端に寝ていました。放っておくわけにもいかず理由を調べると、急性食中毒のようなので、3人を連れて山を降り、誰もいないHealth Postへ寄ってみました。驚いたことにここには点滴があるではありませんか。早速3人に輸液を開始すると、間もなく皆元気になりました。持参していた抗菌剤を渡して、もう大丈夫、と説明しました。こうした大腸炎(起炎菌は病原性大腸菌や赤痢菌など)で死ぬ人が多いのです。(死因のトップ)

 ブッダ病院のその後

2003年5月に開院してから、順調に患者が来てくれると思いきや、間もなく経営危機に陥りました。政治情勢が悪化しており日本から派遣団を送って援助することもできませんでした。そのうち、ブッダ病院長と我々との関係もおかしくなり相互不信の状態のまま今日を迎えています。

 今年の8月来た時に病院長と会い、色々と話し合いました。このままでは倒産するし、病院を売りたくても事情があって相手が見付かりません。思い切って生活協同組合の病院にしたらどうかと提案しました。彼は理解は示しても乗り気ではありませんでした。

 今回は事情が一変して、彼とNGOブッダ基金ポカラより、是非とも会って欲しいと再三にわたり要望があります。

 我々の意向を無視して大きな病院にしてしまいました。ブッダ基金に寄せられた資金で医療機器を購入し、また浜松市や市内の病院から寄贈されたレントゲン車や中古の機器も苦労して送りました。これらは使われないまま埃を被っています。

 こうした状況を打開するため更に努力する必要を感じながら、これまでも各方面より再建へ向けて智恵を傾けても一向に進展を見なかった経緯からして、努力が無駄になる可能性が強くどうしようかと迷っています。

 ともかく率直な意見交換が可能という前提で、これまでPartner−NGOであったBFP(ブッダ基金ポカラ)の皆さんと9日に話し合うことにしました。生活協同組合の運営する病院としてやれるか、その気になれるかが議論の中心になります.

報告が長くなって恐縮です。もう2つ大切な事業に関してです。

1.教育支援

 カトマンズとポカラの中間にDharding地区があり、そこから2時間ほど悪路を上っていくとSalleという村(45世帯 200人)があります。この小さな寒村にBil−Pipal村立小学校があり、Rijal Hom Bahadur博士の郷里です。彼のたっての願い「教育立村」に賛同して、ブッダ基金はこの学校増設計画(5年制10年制)を具体化するために2年間検討してきました。原田副理事長と田村事務局長が今回は訪問して、協約書にサインしました。この計画の責任者は水野教育担当理事です。

2.産業支援(うちわプロジェクト)

 昨年2月よりカトマンズで生産が始まり、これまでに2万本余の受注販売に成功しました。ところが現地責任者であるラミチャーネ氏がアメリカへ行ってしまい、このままでは次年度の生産が危うい状態となったため、ブッダ基金より原田担当副理事長と田村事務局長が、ニルマラさん(ラミ夫人)やNGO代表と会い、事情を確かめながら、これまでの会計帳簿を点検しました。また、今後どうするかに関して職人と協議しした結果、生産工場を移転しなくてはならなくなりました。

 詳しい事情はブッダ基金ホームページに記載する予定です。

3.その他、バラットポカリ村の保育所は問題なく運営されています。また、恵まれない小学校に図書を寄贈し、子供たちがたくさん本を読んで大きな夢と広い視野を持った人間に育ってもらいたい、という強い願望から、水野理事はヘラロアカデミー(NGO)に50万円を寄付しました。この事業も順調に運営され、そのうち本を読んで感動した子供たちの感想文が我々に寄せられることを期待します。

 私はPension Tushita(小さなホテル)に住んでいます。6畳ほどのOfficeを確保しinternetも使えるようになりました。電話やファックスを入れるには何年もかかるそうで諦めました。

 家族の理解があってこうして好き勝手ができる幸せと、時には寂しさを感じています。

 それでは皆さんごきげんよう。

山口貴司

Dr. Takaji  Yamaguchi
/O Pension Tushita
   Lakeside-6, Basundhara Park, Pokhara, Kaski, Nepal
E-mail ; tyheart@gmail.com
Tel (
Mobile ) +977-98560-27878  Tel & Fax     +977-61-571793