ポカラ通信 その3       山口貴司

 

このところネパールではお祝い続きです。昨年の11月には7大政党とマオイストとの間で暫定議会の構成、

暫定内閣、憲法制定議会召集に関する歴史的な合意書に各代表が署名しました。その翌日は国民休日となり、夕

方ともなると家庭や街路には蝋燭が灯され、酒場やレストランでは人々の喜びに満ちた歌と踊りが一晩中続いて

いました。

今度は1月15日、歴史的な暫定議会の召集が行われ、マオイスト(共産党毛沢東主義者)から83名の国会議員

が灰色の制服に身を包んで登庁しました。ただしカトマンズは前夜は停電で、制服を徹夜して作るはずだったミ

シンが動かず62名だけとなってしまったようでした。憲法草案はそのうち公表され、民主主義国家として国際

社会の仲間に加わる日も近いと思われます。国王の地位に関しては6月に予定されている選挙の審判を受けた議

会によって決められます。16日もお祝いが各地であるため休日となりました。

 

さて、私はと言えば、ポカラに来てから3ヶ月にもなるのに、ネパール語が話せないのはおかしいと皆さんに言

われて、プレッシャーを感じています。会話集や辞書、小学校1年生の教科書など揃えてあります。会話の教師

にも一度だけ習いました。ところが、悲しいかな、言葉だけで文字が判らないと脳の海馬に記憶として残りませ

んので、全ては忘却の彼方へと消え去ってしまいます。改めて文字を習い、それを駆使して読み書き会話が出来

るまでになるには、どれだけの時間を要するのか、考えるだけで途方にくれます。耳から学習する習慣があれば、

羞恥心なく使いながら覚えられるのでしょう。

近所の子供を捕まえて会話を始めることにしました。

 

さて、ネパールで実施した幾つかの事業について報告します。

 

1.カスキ地区カラバング村小学校に図書を寄贈

ブッダ基金理事の水野功氏が中心になって実施している事業で、当地のNGOヘラロアカデミーと協同で進めて

います。ポカラの南西あるプムディ村、ブムディ村と今回のカラバング村の3校に対して図書を寄贈し、子供たち

が本を読んで知識ばかりでなく情操や道徳心を高め、そして眼を世界に向けてネパールの人材として育つことを

願っているのです。

1月5日にカラバング村の学校に570冊の本を寄贈しました。その内容は百科事典、やネパールの歴史書、理科

の参考書などでしたが、日本を紹介する英語の本が欲しいと言われました。

式典に妻と招かれて参加した際に「本を読むのが好きな生徒は手を挙げてください」と質問したら、殆ど全員が

挙手したのには驚きました。

次回は1月19日に贈呈式が予定されています。

 

@ カラバング村の学校に図書(570冊)を寄贈 

A 図書室もできていた

 

 

 

 

 

 

 

2.団扇プロジェクト

ネパール特産の竹と手漉き紙に着目し、これを用いて団扇を作ったら必ずや産業支援として成功するとの信念

から、我が原田副理事長が熱意を込めて実施しているプロジェクトです。カトマンズの工場で既に3万本が生産

されました。日本は勿論のことネパールでも徐々にではありますが販路が拡大する兆しが出ておりました。我々

の支援があったこともありますが、当地での事業利益は42万ルピーになっておりました。

しかし団扇は季節商品であることも手伝って、昨年8月に受注を完納した後、問題が発生しました。職人と管理

者との間に不信感が出てきて、次年度の生産が困難になりました。原田氏は昨年10月カトマンズに乗り込んで

善後策を検討した結果、生産工場を移転して,管理者はしっかりした活動をしている現地NGOに委託すること

とし、これまで生産に使用した道具類は新たな工場に移すこと、利潤は次年度の活動資金としてBFJが受け取

ることとしました。

今年度は3万本を目標にして生産が始まる予定です。

 

3.医療キャンプ

昨年度4回目の医療キャンプは日本から田中先生夫妻を迎えて、12月30日にポカラの北20Kmにあるル

ワング村(Lwang)で行いました。ムルディ川の上流のこの村と、周辺のダンプス、ラーチョック、ガーチョッ

ク各村を含めて2万4千人が対象となっていたため、余りにも多くの受診希望者が殺到するのではないかと恐れ

ていました。

遠方より来た村人が診察も出来ずに帰らなくてはならない事態を想定して、12時まで受け付ける事にしてあり

ました。ネパール人医師(内科4名 眼科3名)、看護師4名、薬剤師1名、ボランティア(40名)が参加し

た大きなキャンプとなりました。

630名で受付を打ち切り、その後に来た方には申し訳なかったけれどもお断りしました。胃炎と胃潰瘍の患者

(ネパールではGastricという)が多いことを考えそれなりの薬を用意しましたが、午前中で薬は底をつき、そ

の後に来たGastric患者は処方箋だけ渡して、後日薬を用意するから貰いに来るよう指示しました。

ベテランの整形外科田中先生はインターンの若い先生を助手として、難なく200人近い患者を診察しました。

私は最後までフーフーいいながら100人がやっとでした。

重い心臓病の患者がいたけれども、手術を勧めても医療費が払えないためどうすることも出来ませんでした。

しかし眼科医によって手術が必要と診断された患者は20名を数え、当日バスでポカラへ連れて行って、翌日に

は眼科病院で全員が無料で手術を受けました。80人の老人に眼鏡を支給しました。

このキャンプにはマオイストを始め多くの政治家も視察に来ていました。またFMラジオや新聞でも報道されま

した。

キャンプの総費用は約18万円でした。(薬代、眼鏡代、輸送費、昼食代など)

 

Bヒマラヤブッダ基金と協力して心臓手術をして助かった チャンドラプン氏 2弁置換手術をGangalal病院で行った

C協力を惜しまぬNGOヒマラヤブッダ基金の皆様

D教育支援活動を共にするヘラロの皆様と

           

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4.ブッダ病院問題のつづき

医療保険制度がなくて、無医村だらけのネパールで医療キャンプをすることはそれなりの意義があると信じて

います。しかし、そこで見付かった重病人をどうするかは、最も困難な課題です。それに答えるためポカラにブ

ッダ病院を建設したのでした。医療機器も送りました。

既に報告した通りこの病院は様々な問題を起こしています。その最たるものは医療機器が使われないまま放置さ

れていることです。医療機器の補修と維持のため、管理責任者のNGO−BFP(ブッダ基金ポカラ)には資金

を送ってありました。その資金も使われないまま銀行に預けてあるというのです。

更に苦心して送ったネパールでは第1号に当たるレントゲン検診車は、急遽塗り替えられて、車体に書かれてあ

った「贈呈BFJよりBFPへ」「浜松市」の文字が消されて「Buddha Mobile-mini Hospital」と書かれまし

た。これは明らかに私物化です。NGOに委託してあったのにもかかわらず、私的病院の名前が付いてしまった

のです。私的病院の院長がBFPの会長にもなって医療機器を私物化したのです。

事ここにいたっては許すわけには参りません。

ネパールのNGOの監督官庁に当たる社会福祉協議会(SWC)に対して、書面にて提訴しました。また国会議

員や政府高官に会い、医療機器はネパール人の福祉と健康のために送ったのであるから、これを私的病院より奪

還して本来の目的のために使って欲しいと訴えました。

結果はどうなるか不明ですが、社会正義Social justiceを貫かなくては今後の活動に大きな支障が発生します。

ネパールのNGOは雨後の筍のように成長を続け、現在2万を数えています。その中で自立的な活動をしている

組織は数えるしかありません。殆どは外国の援助に依存し、資金が途絶えると消滅します。

国際的な援助を受けながら、そのNGOの活動に不正があるとしたら放置してはなりません。

 

Bダルマ医師ならびにBFPの会員と会って病院再建策を検討した。

病院をレンタルする意図が見られた。 2006年11月

@SWCに提出する訴状にサインする 

ASWCの副長官と高官立会いの下訴状が受理された 2007年1月12日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5.辛い話ばかりですみません。しかしこれが現実であり、正直に報告しました。もう一つ最後にお知らせしなく

てはならないことがあります。それは多民族国家の抱える問題です。専制君主がいたりヒンズー教国家であった

り、更に内戦状態が続いたりして、多くの困難を抱えた国であったこともさることながら、その上に30にも及

ぶ民族があることです。ネワール族、マガール族、グルング族、タカリ族、ライ族、シェルパ族など言語も習俗

も異なります。そこに身分と宗教が加わり複雑な社会となっていることです。

そして、人々の国家や地域社会に対して貢献しようとする態度の裏側には、必ずと言ってよいほど民族意識が

根深くあって、知的な集団であっても後者を優先してしまうのです。その良い例は、ブッダ病院をCommunity病

院とすべく活動したのでしたが、多民族にまたがる横断的な組織化は実に難しく、NGO活動をしている意識の

高い方々ですら協調、協同ができませんでした。3つのNGOと我々とで何回も会議を開いたのでしたが、堂々

巡りばかりで埒があきません。すでに2年余を費やしてしまいました。

そういう次第でブッダ病院を公的な病院にすることを諦めざるを得ませんでした。

 

次回にはダーディング郡サッレ村の学校建設事業など、明るい情報をお届けできると思います。

 

                                      1月17日  ポカラにて